TARKY TOSHIMA

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ヌケガラ(OFF)とマトイ(ON)

2021|展示、企画

《Stick and Rapel》O,1、2人
《Stick and Rapel》O,1、2人(撮影:吉田正幸)
《Stick and Rapel》O,1、2人
《Stick and Rapel》O,1、2人
《Stick and Rapel》O,1、2人
展示風景
(撮影:木奥惠三 Courtesy of TALION GALLERY)
《↗○∞○+ 〜夏の終わり編〜》O,1、2人(映像より)
《↗○∞○+ 〜夏の終わり編〜》O,1、2人
《↗○∞○+ 〜夏の終わり編〜》O,1、2人
《↗○∞○+ 〜夏の終わり編〜》O,1、2人(映像より)

キュレーションおよび「O,1、2人(外島貴幸+吉田正幸)」として映像作品の展示、またコントの上演をオンラインで配信した。

《Stick and Rapel》は、ギャラリーの床、地下の空間に通じる穴にモニターを設置した。撮影も同じギャラリーで行い、その穴から登場するミイラと、カメラの反対側にいる聞き手との対話がメインである。時折テクストだけの画面が挿入されるが、対話はそのまま進行する。この映像作品は二つのシーンで構成されている。

一つ目のシーンでは、ヨーグルトは食べると飲むの中間にある気がする、牛を飼育していたシルクロードの思い出、空間の白さや眩しさについての対話が繰り広げられる。語り手のミイラは、「楼蘭の美女」と呼ばれる、1980年にシルクロード沿いの都市であった楼蘭で発掘されたミイラをなんとなく参照している。

次のシーンでは、道を尋ねる男とそれに答えるミイラとの対話がなされる。人工の乳房とシルクロードの道順、くっつきとはじきについての関節が外れた会話である。

また、展示期間の最終日に、同ギャラリーで撮影したコント《↗○∞○+ 〜夏の終わり編〜》をオンラインで配信した。回想と記憶、手紙などによって、それぞれの演目間の関係や物語性が揺らぎながらエピソードとして連続していくというもの。当然のことながら同会場において上演=撮影したものなので、展示中の作品やギャラリーの空間もコントに取り込んでいる。

(以下、告知用プレスリリースより)
 本展は、「抜け殻、あるいは身にまとうこと」「正体を隠すことと脱ぎ捨てることの、あいだ」をテーマとした展覧会であり、大喜利です。抜け殻とは、かつて自分であったもの、または自分以外の何かであったものであり、 表面の模造や、異物としての過去でもあります。また、身にまとうこととは、同一性の再編、変形、何か別のものになる行為などを意味します。ここで言う大喜利には、展覧会名があらわす題目について参加作家が考え、作品として展示するというプロセスが含まれています。
 それは、所与の条件に対して即興的に答えを出すという展覧会の成り立ちを可視化することで、アーティストと作品、展示と企画といった関係性に、一種の機知と批評性をもたらすための方法論でもあります。そもそも大喜利という言葉は、近世歌舞伎においては主な公演の終わった後に、即興芸や喜劇を披露する等の締めの演目のことを指していました。本展の関連イベントとして、O,1、2 人 ( 外島貴幸 + 吉田正幸) によるコント公演「↗○∞○+ ~夏の終わり編~」の配信も予定しています。お題に答えること、脱皮すること、なにかをまとうこと、「ON/OFF」を切り替えること。つまり、本展で焦点化されているのは「行為(のフォーム)」でもあります。結果物として展示される作品だけではなく、その過程における行為性、あるいは行為としての作品に意識を差し向けることで、美術にとってのパフォーマティヴィティの問題系も浮かび上がることになるでしょう。どうぞご期待ください。

なお、このキュレーション展自体、またこの展覧会で重要な主題になっている「大喜利」、アーティストと展示、作品、企画についての関係性の深堀として、2023年に開催された『外島貴幸作品集刊行記念シンポジウム』で、作家自身が再び取り上げ、語ったり、ほかのゲストの方から語られたりしている。このシンポジウムは、「外島貴幸作品集刊行記念イベントナンセンス=≠ロジックと形式(フォーム)」(石川卓磨、上田剛史、田坂博子、外島貴幸)として、全編読むことができる。

コント「夏の思い出」